寿司割烹たつき 児嶋 美希子さん┃創業56年を誇る老舗寿司店の2代目女将が想う姪浜と は(後編)

毎回、姪浜で活動されている様々な方へお話を伺っていく「地元の人に聞いてみた」のコーナー。前回に引き続いて今回も姪浜の人気寿司店「寿司割烹たつき」の2代目女将の児嶋美希子さんにお話を伺ってきました♪

前半では姪浜で創業50年以上の歴史を誇る老舗寿司店「寿司割烹 たつき」の女将の児嶋美希子さんと三代目の児嶋一晃さんにお店の創業からお店のこれまでについてお話を伺ってきました。後半ではお店のこだわりや三代目のこれまでについてなどまたいろいろと伺っていきたいと思います。よろしくお願いします。

 

児嶋美希子さん(以下「女将」とする):よろしくお願いします。

児嶋一晃さん(以下「三代目」とする):よろしくお願いします。

 

―ここまで女将さんについてお話を伺ってきました。ここからは三代目についてお伺いしていきたいのですがまずは女将さんとの関係についてお伺いさせてください。

 

三代目:女将さんは僕の叔母になります。僕の父親が女将さんの兄になります。

 

―なるほど、それでは先代の大大将は三代目のお祖父さまにあたるわけですね。寿司への道にはいつから入られたのでしょうか?

 

三代目:そうですね、僕は高校卒業してからですね。

 

―高校卒業の時点で寿司の道へ進むことを決められていたということですか?

 

三代目:もう僕は小学校卒業のアルバムには寿司屋になるって書いてましたね。

 

―ということは小学校からの夢だったんですね!

 

三代目:父親が寿司屋をやっていたってこともあってその背中を見てきましたし、そのころは先代の大大将が「たつき」をやってて、女将さんは一生懸命出前の配達をしてて卵を焼いたりしているのを幼少のころから見てきてるから自分も寿司屋になるって自然に考えてましたね。

 

―高校卒業されてすぐにこのお店で働き始めたのですか?

 

三代目:いえ、最初は他所の一般のお寿司屋さんで働き始めました。

 

―それはどのくらいの期間を?

三代目:そこは4年半くらいですかね。

そこからちょっといろんな意味でもうちょっと勉強したいなという思いで大阪に行こうかなと思いながらそのお店をやめたんです。そこで、ちょっと見聞広めるために渡米したんです。

 

―えっ、渡米ってことはアメリカに行ったんですか?

三代目:はい、それで12年くらい向こうでお寿司の仕事をさせてもらいました。

 

―えぇっ、12年ってすごいですね。それっていつ頃ですか?

 

三代目:阪神淡路大震災の前のだったんで1994年くらいですね。

 

―その頃って今みたいにアメリカに寿司文化ってあったのでしょうか?

 

三代目:そのころはだいぶ定着はしていましたね。ただやっぱり今と比べると魚の流通がよくなかったので日本の寿司と比べると違うなと感じる部分はありました。

 

―どうしても海外のお寿司っていうとカリフォルニア巻のイメージがあるんですが向こうで働いているときは日本と同じようなお寿司を出されていたんですか?

 

三代目:そうですね。もちろん向こうに合わせたお寿司もありましたが、日本と同じ寿司を提供していました。

 

―向こうで働かれたお店は日本人の方がされているお寿司屋さんだったですか?

 

三代目:そうです、最初はそんなにながくいるつもりはなかったんですが当時は3ヶ月間はビザなしでも滞在ができて、1週間くらいのつもりで行ったんですけど、向こうの空気感が自分の肌に合ってるとおもって、まずは3ヶ月間おってみようと思って、やっぱり自分の性格に非常に合っていると感じて一度日本に戻ってビザを取得してまたすぐに渡米しました。

 

―こっちに戻ってこられたのは何かきっかけがあったのですか?

 

三代目:僕は向こうで結婚したんですが妻の体調が少し悪くて向こうの医療って日本に比べると繊細な言い回しっていうのがなくて伝えたいことがうまくつたえることが出来ずに、受けたい治療をうけることが出来なかったりしたんです。それで頃合いでもあったので戻ってくることにしました。まあ、向こうにこだわりつづける理由もなかったので引き揚げようってことで戻ってきました。

 

―なるほど、それで向こうから帰ってきてからは「たつき」で働き始めるわけですね。 

 

三代目:そうですね、それからは「たつき」一筋でやってきました。

 

 

(渡米した時の経験が今も活きているとのこと)


―ありがとうございます。それでは、お店についてお伺いしていきたいと思うのですが50年以上に渡り長い期間姪浜で創業を続けてきて他に店舗を出そうとはならなかったのですか?

 

 

 

 

女将:話しはありましたよ、銀行さんや不動産屋さんもよく話を持ってこられてました。

 

お客様から「たつき」が天神にあったらいいのになどとうれしいお言葉を頂いたりもするのですが、生ものを扱う商売って日に日に変わるものじゃないですか。それとお寿司って板前さんたちがお客さんと対面して初めておいしくなる料理になると思うんです。そうなるとうちはこうセントラルキッチンで回しているお店じゃないのでやっぱり多店舗展開になるとそれが難しくなってくる。板前さんとお客様が対面して食事をしていただくことはとても大事にしたいことなのででこのやり方だと1店舗がやっとですね。

 

 

 

三代目:逆に一店舗に専念しているから地域の皆様も助けてくれるっていうのもあると思うんです。

 

 

女将:出前に関して言うとうちでは一人前からでも配達をするようにしているんです。というのも姪浜ってお年寄りの方が多いのでお年寄りが一人で暮らしていたりすると、ほとんど1日置きくらいに注文してくださるお客様がいらっしゃるんです。定期的にご注文いただくお客様のもとに配達へ行くのですが、急に注文されなくなったりすることがあるんです。そうなると、逆に心配するようになってきて様子を見に行ったりするようになるんです。

 

 

 

―なるほど、民生委員じゃないですけどお年寄りの方たちの安否を確認するようになるんですね。

 

 

 

女将:何度も配達で足を運んでいくうちお年寄りの方なんかは本当に入院されて。それこそ

 

亡くなられたりしたら娘さん方がわざわざ挨拶にこられ足りすることもあります。離れて暮らしてて帰るといつもタツキの桶がいっつもおいてあるのご覧になられてたみたいで、父がお世話になりましたってわざわざご挨拶に来られたりするんですよ。

 

 

 


(たつきは出前のメニューが豊富にそろっており一人前から注文が可能)

―だれか見てくれる人がいるってだけでご家族としてはありがたいことですよね。

 

女将:地域に密着した商売を今までもそうですしこれからも続けていきたいなと思っています。子供のころにお父さんに連れられてたつきのお寿司を食べて、その子が成年になって結婚の顔見せなんかをうちでされると、あの時の小さかったお子さんがこんなに大きくなってって思いになってとても感慨深いです。そこからまた子供が生まれてその子を連れてお店にこられたりすると感動もひとしおですね。

 

―親から子、子から孫へと受け継がれていくわけですね。

 

 

女将:親の代から順番に順番にこう節目に関わっていくような関り方をしていくのがうれしく、ありがたいしやりがいがあります。 

 

―ありがとうございます。それでは次の質問ですが、お店のウリといいますかこだわりを教えてください。

  

女将:正直に申し上げまして、そんなにここはこだわるということはないです。

 

考え方としては寿司でもネタが新鮮なのは当たり前で絶対的なことですし、これはもうこだわるかそういう話ではないと思うんです。

 

極端なことを申し上げるとお料理の味とかは60点でいいと思っているんですよ。大事なのはスタッフさんの接客だったり電話の応対だったり配達さんの対応だったりやっぱり板さんたちの笑顔だったり接し方など温かみのあるいい雰囲気をつくることで寿司やお料理が90点になると思うんですよね。

 

逆をいうとどんなにおいしい料理を出したとしてもそこのお店の雰囲気が悪かったりオーナーの感じや愛想が悪かったりしたら満足してお客さんは帰ることが出来ないと思うんです。だからそういう意味では普通でいいと思っているんです。ただそこにプラスいろんなもの、例えて言えば空間みたいなものがかみ合って90点が出ればいいと考えています。

 

―確かにどんなにおいしい料理を出されても接客がよくなかったりするともう2度と行かないってなりますもんね。

 

女将:そうですね、なのでこだわるとすれば全体、みんなが一緒になってお客さんが居心地のいいお店にするっていうことに全身そっちに向かっていくっていうことですね。

 

 

(お店全体でお客様の居心地の良い空間づくりを目指している)

―なるほど、「たつき」が多くの人たちから愛さ続けている理由が分かったような気がします。

 

ここまでお店について伺ってきましたがここからは「たつき」の創業の地でもある姪浜についてお伺いしていきたいと思います。「たつき」にとって姪浜ってどのような場所ですか?

 

女将:私たちは姪浜に共に成長させてもらったと思っています。

 

姪浜ってもともとは漁師町ってこともあって食に厳しいところがあるんです。だから変なものは出せない。それで鍛えられたっていうのはとても大きいです。

 

―姪浜という地域で生き抜くために切磋琢磨したわけですね。最近は昔に比べると姪浜の活気がなくなりつつあるとよく言われていますがその点についてはどう思われますか?

 

女将:区画整理の際に糸島などのにぎやかなところへ出ていかれるお店も多かったし仕方ないことだと思います。当時は姪浜ってお寿司屋さんも、うちだけじゃなくいっぱいあったんですよ。姪浜だけでも78件ありました。しかし、長い期間お店を続けてきていまは古い店はほとんどなくなってしまいました。一生懸命残ってあの地で商売を続けられているところも在りますが区画整理が始まってからはお店が一つ減るごとに続けてお店がどんどん減っていって悪循環ですよ。

 

―どうやったらこの悪循環を断ち切れると思われますか? 

 

女将:八百屋や魚屋さんなどの小売りのお店が一軒できただけじゃ人の流れを取り戻すのは難しいと思っています。街の活気を取り戻すには、若い人たちの柔軟な考え方を取り入れながら町おこしのために活動することで新しい道が開けるんじゃないかと思います。これまでのやり方を変えて若い人たちの新しいやり方で変わっていくんじゃないかと思っています。動いていくことで。

 

―ありがとうございます。それでは続いての質問ですが、「たつき」のこれからの展望を伺ってもよろしいでしょうか。

 

女将:大きく何かを変えるといったことはありませんが、少しずつ新しいものを取り入れて伝統と改革じゃないですけど古いものを守りつつ新しいことにも挑戦していかなくちゃいけないと考えています。

 なのでアンテナはいつも張っていて、これまでもいろんな情報をキャッチして実際にそれをやってみようと計画したり見に行ったりしてきたことをこれからも続けていきたいと思っています。

 

 

(ビジネスの講習に参加するなどして最新の情報をチェックしているとのこと)

―ありがとうございます。ここまで本当に長い時間ありがとうございました。最後に「めいのはまSTAY.com」をご覧いただいている皆さんに何かメッセージを御願いします。

 

女将:創業以来ここ姪浜の地において長らく営業が出来ますのも多くの方々のご支援の賜物だと感謝いたしております。これからも、お客様に安心してお越しいただき、お腹も、心も満たすお店となりますよう「心づくしのおもてなし」を心がけ、従業員一同精進して参ります。ぜひ姪浜へお越しの際は「寿司割烹 たつき」へお越しになられてください。

 

―本日は本当にありがとうございました。 

 

女将:ありがとうございました。

 

三代目:ありがとうございました。

 

【寿司割烹たつき 児嶋 美希子さん】 

姪浜の老舗寿司店「寿司割烹たつき」の2代目女将。独自の経営手腕によって20年以上にわたってお店を切り盛りし、各界の著名人も多数来店する人気寿司店へと成長へ導いた。様々な地域の団体に加入し姪浜の街を盛り上げる活動も精力的に行っている。


寿司割烹たつき

住所:〒819-0002

   福岡県福岡市西区姪の浜1丁目13−28

営業時間:11:00~21:30(出前21:00まで)ランチタイムは11:30~14:30

電話番号:092-881-1223

FAX番号:092-831-9901

公式ホームページ:http://www.sushi-tatsuki.com/

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