寿司割烹たつき 児嶋 美希子さん┃創業56年を誇る老舗寿司店の2代目女将が想う姪浜とは(前編)

毎回、姪浜で活動されている様々な方へお話を伺っていく「地元の人に聞いてみた」のコーナー。今回は姪浜で半世紀以上にわたって操業を続ける老舗寿司店「寿司割烹たつき」の2代目女将の児嶋美希子さんにお話を伺ってきました♪

今日は姪浜で創業50年以上の歴史を誇る老舗寿司店「寿司割烹 たつき」の女将の児嶋美希子さんと3代目の児嶋一晃さんにいろいろとお話を伺っていきたいと思います。よろしくお願いします。

 

児嶋美希子さん(以下「女将」とする):よろしくお願いします。

児嶋一晃さん(以下「3代目」とする):よろしくお願いします。

 

―それではまず「たつき」の創業についてお伺いさせていただきたいのですが、女将さんが

2代目ということで先代がこのお店を始められたということでしょうか?

 

女将:そうです、ここの大大将であった私の父が昭和41年に創業しましたので今年で創業から56年が経ちます。

 

56年ってすごいですね、創業当時から今の場所にお店を構えてらっしゃったのでしょうか?

 

女将:いえ、最初はここから50m先くらいのところにお店を構えていて今のこの場所はもともとは自宅でした。

 

―なるほど、どういった経緯でお父様が姪浜で寿司屋を開業されたのか教えていただいてもよろしいでしょうか?

 

女将:私もそうですが先代の父は職人ではなかったんですよ。父はもともとは予科練の海軍の航空隊の教官をして終戦を迎えたんです。どちらかというとサラリーマン向きの性格ではなくて商売人気質でした。父は周りの友人などが飛行機関係の仕事に就かれたりしていく中で母が率先して商売を始めようって動いたことなどもあり、いろんな商売をしてきましたが最終的に寿司屋に落ち着いたといった形になります。

 

―それってお父様がおいくつの時だったんですか?

 

女将:父が50歳の時に来ました。その時に職人さんを雇って、息子たちに家業を手伝ってもらいながら切り盛りしてました。

  

―なるほど、お父様は職人ではなく経営者、オーナーのような存在だったわけですね。

 

女将:そうですね、父には大将の父親も含め3人の息子がいて、それで息子3人のうち2人は職人になっていました。

 


―そのころには女将さんもお店の手伝いをされていたんですか?

 

女将:私は21歳のころに家業の手伝いを始めました。今が私が68歳なので47年程前ですね。

 

―高校卒業されてからお手伝いされてたということですか?

 

女将:高校を卒業して一度家を離れてそこから戻ってきてからですね。

 

―なるほど、女将さんがお父様からこのお店を継いだということですが2代目になられたのはいつ頃なのでしょうか?

 

女将:今の場所に店を建て替えたときですね。お店の前の道路が拡張されることになってそれが1997年に始まってそのころに父が病気になったものでそれで1999年から2000年にかけて建て替えてそこからは私が2代目ということで新たに出発しました。

 

―では女将さんの代に代わって20年以上経っているというわけですね。女将さんに代替わりして「たつき」はどのように変わっていったか教えてください。

 

女将:私が女将になるまでは、出前を中心にやってて売り上げの9割が出前でした。しかし私が女将になってからはお店でのお食事にも力を入れ、出前の割合を半々にしました。

 

―なるほど、それはどういった思惑で変えていったのでしょうか。

 

女将:私が女将になるまでうちはそこそこ忙しいお店で、それまで私はずっと厨房に入っていたんです。それで友達や知り合いがお店に食事に来てくれたりするんですが私は忙しくて厨房にはいったままであいさつに出てこれないなんて状況が続いていて、そんな時に気づいたのが「たつき」というお店の名前が姪浜以外の方々の知られていない事でした。

 

そこでもっと「たつき」の名前を多くの方に知っていただきたい思いここを建て替えた際に、当時の板前さんたちに私は厨房に立たずに表に出るようにすると伝えました。そして私はこれまでとやり方を変え女将として、お店の顔としてお店を知ってもらうような営業をやっていくと伝えました。

 

―それまでの経営方針をガラッと帰る決断をされたわけですね。

 

女将:はい、そして出前9割のお店を出前と店内で半々のお店でやっていきたいとも伝えました。そのためには「たつき」をもっといろんな人に知ってもらう必要があるのでそれからは一切裏には回らずに私は広報活動・営業活動に回るようになりました。

 

―なるほど、「たつき」さんというと福岡でも屈指の名店として認知度も高いですが女将さんの努力の賜物だったのですね。

 

女将:当時の「たつき」姪浜の方々には知っていただけていますが、それ以外の場所では全然知られていませんでした。特に室見川を越えて向こう側の方はほぼほぼ私達のことを知らなかったんじゃないでしょうか。そこで、まずお店のことを知ってもらうためにどういった手段があるかっていうのをいろいろと模索しました。

 

-具体的にどういったことを?

 

女将:いろいろやりました。たとえば、大丸デパートの食品売り場でスポットでうちのお店の看板商品のバッテラを売らせてもらえないかっていうのを食品売り場の方に直談判してお願いしました。そしたら、1週間販売させていただく機会をいただきました。

 

―その時はどうでした?

 

女将:売れませんでしたね。名前も知られていないので特に最初の2日間なんて本当に売ることの難しさを痛感しました。ただ、そこから半年くらいしてまた出店しないかとお話をいただいて出店したんです。そしたら徐々にご購入してくださるお客様が増えてきました。

前の出展の時に買って下さった方が美味しかったからと言って来てくださったり、口コミを聞いて訪ねてくださったりなど沢山の方が来られてびっくりしました。

 

―前回の出展で購入された方の心に響いたんですね。

 

女将:それから、大丸さんって催事の時には折込チラシの広告を出されていたんですね。それを見てこられた方もたくさんいらっしゃいました。

それを機に、デパートへの出展を34回と回を重ねるにつれて行列ができるようにまでなりました。

 

―なるほど、今でいうところのバズったような状態だったんですね。

  

 

3代目:あの時はうちで出しているような身の厚いバッテラっていうのがまだ全然浸透していなくて、出してるところがうちくらいっていうのもあって物珍しさもあったんだと思います。

 女将:それからは三越や東京の百貨店などいろいろなとこに出店しました。お声をかけていただくことが増えてきてそうこうしているうちのお店に来られるお客さんが増えてきてお店がとても忙しくなりました。

 

―催事に来られたお客さんがお店に来られるように誘導が出来たわけですね。

 

女将:おかげさまでそのころにはお店でのお食事の売上が伸びて当初の目標とした半々にはなっていました。

 

―なるほど、女将さんの外に目を向けた広報活動が実を結んで今の「たつき」があるわけですね。

 

―ということで前半はここまでとさせていただきます。後半では「寿司割烹 たつき」のこだわりや3代目のこれまでのお話などをお聞きしていければと思います。ありがとうございました。

 

女将:ありがとうございました。

 

3代目:ありがとうございました。

【寿司割烹たつき 児嶋 美希子さん】 

姪浜の老舗寿司店「寿司割烹たつき」の2代目女将。独自の経営手腕によって20年以上にわたってお店を切り盛りし、各界の著名人も多数来店する人気寿司店へと成長へ導いた。様々な地域の団体に加入し姪浜の街を盛り上げる活動も精力的に行っている。


寿司割烹たつき

住所:〒819-0002

   福岡県福岡市西区姪の浜1丁目13−28

営業時間:11:00~21:30(出前21:00まで)ランチタイムは11:30~14:30

電話番号:092-881-1223

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