真宗大谷派 護念山 稱讃寺 護山信麿さん┃ご縁の大切さを伝え続ける住職の視点から見える姪浜とは(前編)

毎回たくさんの方々からご好評をいただいている【地元の人に聞いてみた】のコーナー。今回は姪浜で地元の方々から古くから愛されるお寺「真宗大谷派 護念山 稱讃寺」の護山信麿 住職にお話を伺ってきました。

ー今日はお忙しい所お時間をいただき有難うございます。よろしくお願いします。

 

護山信麿 住職(以下、「住職」):こちらこそよろしくお願いします。

 

ーまずは簡単に自己紹介をお願いします。

 

護山住職:真宗大谷派 護念山 稱讃寺にて住職をさせていただいております、護山信麿と申します。

 

ーありがとうございます。まずはお寺の教えといいますか真宗大谷派の教えがどういったものなのか伺わせて頂いてもよろしいでしょうか?

 

護山住職:浄土真宗はお西(西本願寺)もお東(東本願寺)も一緒になります。浄土真宗は親鸞聖人の教えで、我々のお寺はそのお東で俗に真宗大谷派という名称になります。ちなみにお西は浄土真宗本願寺派になります。お念仏を申していくことで救われていく世界というのが浄土真宗の教えの基礎になります。救われるというのは、何かが解決するとかそういうことではなくて、人間というものはいろんな良いこともあれば悪いことがあり都合の良いことや悪いことが起こります。そこで立ち止まってお念仏という教えを聞くことによって自分自身を訪ねていける世界があるという意味を持っています。 

 

(浄土真宗の宗祖「親鸞聖人」の像)

ーなるほど、このお念仏というものを軸として何百年ものあいだ沢山の人々を導いてきたということですね。ちなみに住職は出身は姪浜になられるんですか?

 

護山住職:いえ、私はもともとは博多区の美野島の出身で34歳の頃に稱讃寺に来ました。

 

ーそうだったんですね、住職さんが稱讃寺の住職としてお勤めになられるまでの経緯を伺わせて頂きたいのですが。

 

護山住職:わかりました。私の実家は先ほども申しました通り博多区の美野島なのですが美野島のお寺になります。高校まではお寺とは全く関係のない普通の高校に通っていました。高校を卒業してからお寺に関する大学に入学しました。

 

ーお寺の大学というのがあるんですね。ちなみに福岡にあるんですか?

 

護山住職:はい、九州大谷短期大学という真宗大谷派の学校が筑後市にあるのですが、そこの短大に最初は通っていました。

 

ー最初は、といいますと?

 

護山住職:最初は九州大谷短期大学に入学したのですが、最終的には京都にある大谷大学へ入学しなおして卒業したんです。正直に申し上げると短大に通い始めた当初はお寺を継ぐのではなく俳優になることを夢見ていました。というのも私には兄がいて実家のお寺は兄が継ぐことになっていたことから私が継ぐ必要が無かったため、お寺の大学ではあったんですけど演劇の学科に通っていました。

 

ーなるほど、それじゃ元々は住職になられるつもりじゃなかったんですね。

 

護山住職:そうですね、演劇の勉強はしていたのですが大谷学園というお寺の大学ということもあって周りにはお寺の出の人が多く、自分と似た家庭環境の人ばかりでついつい馴染んでしまい、遊ぶ友達も演劇の学部の子よりもお寺の学部の子達と遊ぶことが多くなりそのあたりから俳優になりたいという気持ちから、お寺の道へ進みたいという気持ちに変っていきました。

 

ーそれで京都の大学へ入り直すわけですね。

 

護山住職:はい、短期大学に2年通った後に1年間京都の大学へ入るために浪人して勉強して京都の大谷大学へ入学し4年間通いました。なので25歳になる年に卒業して福岡へ戻ってきました。

 

 

(有形文化財としても登録されている大谷大学尋源館(旧本館))

 ーそこからご実家のお寺に勤め始めたということですね。

 

護山住職:そうですね、本当はどこか他所のお寺へお手伝いという形で修業に行きたかったのですが、その当時実家のお寺を立て直すことになっていって色々と人手が足りないということで父に帰ってくるように言われそのまま実家のお寺に戻りました。今でもそこは少し心残りがあって、やっぱり外の世界を見たかったという思いがあります。自分の育ってきた家だと勝手もわかっているわけなのでどうしてもその環境に甘んじてしまいます。

 

ー他所のお寺で修業することで視野を広げたかったんですね。

 

護山住職:今となってはあの時の判断が正解だったのか間違いだったのかわかりませんが、実家へ戻ってきてから約3年で建て直しが完了し落ち着いてたのですがその頃私はもう30歳を超えていたので修業に出るのも難しい年齢になっていました。なので修業へはいかずにそれから暫くは実家のお寺に勤めていました。

 

ーなるほど、それから稱讃寺に来られることになるわけですね。稱讃寺に来られたきっかけは何だったんですか?

 

護山住職:ここ稱讃寺の先代の住職が亡くなられて先代に跡継ぎがいらっしゃらないということで私が来ることとなりました。私の実家が美野島にあるお寺で、私の父が先代の住職と深いご縁があり先代の住職が亡くなられた際に父の働きかけがあって私が来させていただく事になりました。そもそも私と先代も私的にも付き合いがいろいろあり仲良くさせていただいていました。

 

ーなるほど、お父様の働きかけがあったということですが住職ご自身も稱讃寺へ来ることを望まれてたのですか?

 

護山住職:そうですね、先代が亡くなられる以前に実家のお寺にその当時の稱讃寺の門徒会の会長さんが父に相談に来られたことがあったんです。その方と父の話を聞いていたのですがその方を始め稱讃寺の門徒会には沢山の方々が稱讃寺に対して熱い思いを持たれているということがその方のお話から伝わってきてその時初めて稱讃寺にご縁があればと思うようになりました。

 

 

後に先代が亡くなられた際に改めて父に稱讃寺への想いを伝えたところ理解してくれて、稱讃寺への入寺の働きかけを頂いたというわけです。

ーなるほど、いろいろなご縁が重なって稱讃寺でのお勤めにつながったんですね。

 

護山住職:やっぱり門徒さんがいてこそのお寺だと思っていて門徒さんの熱量っていうのは非常に大事だと考えています。なので私がどうこうではなく私が稱讃寺に来ることでどのように門徒さんが感じられるかが大事になってきます。

 

ー門徒さんがいてこそのお寺というわけですね。

 

護山住職:そうです。宗教法人ですから。宗教法人ひいてはお寺というものは門徒が持つべきものなんです。少し専門的なお話には住職っていうのは別名で留守職(るすしき)とも言うんです。

 

ー留守職ですか?

 

護山住職:文字の通りなんですが、住職の仕事とはお寺の留守をお預かりする事なんです。先ほども申し上げた通りお寺というのは門徒さんの護持によるものなんですが門徒さんはみなさんそれぞれお仕事があって自分の住まいがあってお寺を留守にするのでその留守中のお寺を護るのが住職の役目なんです。

 

ーそうなんですね、私の勝手なイメージでしたがお寺の留守を護るのは坊守さんだと思っていました。

 

護山住職:それも間違いではないです。先ほど住職はお寺の留守を護る留守職とご説明しましたが、住職はお参りでいろいろなところで出ていく必要があるためお寺を留守にすることが多々あります。そこで住職が留守にしている間のお寺を守るのが坊守の役目というわけなんです。

 

ーなるほど、それじゃあ住職と坊守のお2人でお寺を護っているということなんですね。

 

護山住職:そうですね、私達2人で稱讃寺を護らせていただくことが役目となります。

 

 

 

ーありがとうございます。それでは前編はここまでとさせていただきます。前編では住職が稱讃寺へ来られるまでのお話を伺ってきました。後編では住職が稱讃寺へ来られてからこれまでのことや稱讃寺の住職から見る姪浜についてなど伺っていきたいと思います。

真宗大谷派 護念山 稱讃寺

護山 信麿さん

姪浜に位置する浄土真宗東本願寺派の寺院【真宗大谷派 護念山 稱讃寺】の住職としてご縁を大切にする浄土真宗の教えを伝え続けている。地域の子供たちに向けたサマースクールの開催や地域の方々へのヨガやコーラスの教室を開くなど地域のご縁を繋ぐ活動に力を注いでいる。