nogami株式会社野上博充 さん┃姪浜で生まれ育った男からみた姪浜の昔と今(前編)

姪浜で活躍する様々な人フォーカスを充てていく「地元の人に聞いてみた」のコーナー。今回は美容商材の卸販売の会社「nogami株式会社」の代表取締役であり、姪浜中央商店会の副会長や小学校のPTA会長を務めるな姪浜の地域活性のために活動する野上博充さんにお話を伺ってきました。

ー本日はよろしくお願いします。

 

野上博充さん(以下「野上」):よろしくお願いします。

 

ーまずは簡単に自己紹介を御願いします。

 

野上:野上博充と言います。姪浜で美容室で使うような資材の卸しの会社『nogami株式会社』を経営しています。

 

ーありがとうございます。今日お伺いさせて頂いている事務所のすぐ裏がご実家と聞いていますがそのあたりの事を教えていただいてもいいですか?

 

野上:ここの裏が祖母の家で更に裏が僕の実家になります。僕自身は家族と姪浜3丁目の別の所に住んでいます。

 

ーなるほど、じゃあこの事務所も元々はお家の一部だったんですか?

 

野上:そうですね、もともと納屋だったんですけどけど改装して店舗にしました。僕がここに事務所を構える前はスナックがテナントで入っていて更にその前は電気屋さんが入っていました。それでスナックが出ていかれて数年間ほったらかしの状態だったので自分で中を解体して、知人に壁を貼ってもらったりして今の形になりました。

 

ー自分でやられたなんてすごいですね。古民家風でアジのある事務所になりましたね。

 

野上:最初は隣の建物を借りようと思っていたんですけど、家賃の負担の事を考えた結果、ここを利用しようってことになりました。

 

ー家賃の負担がなくなるっていうのは事業をやっていく上ではかなり大きいですよね。

 

野上:タダより高いモノはないですからね(笑)

 

 

ー生まれも育ちも姪浜と伺っていますが事業を立ちあげられるまでの事を伺ってもいいですか?

 

野上:そうですね、姪浜小学校・姪浜中学校出身で高校は玄洋高校に通っていました。高校を卒業してから専門学校に入ったんですが2か月で辞めちゃいました。そこからは一時グーたらしていました(笑)バンドとかやっててそれでメシを食おうなんて思っていた時期もありましたけどそんな甘い世界じゃありませんでした。

 

ーなるほど、バンドマンだったんですね。それじゃあバンドの夢を諦めて違う道へ進み始めたんですね。

 

野上:そうですね、自分の中で21歳までには何かきちんとした仕事をしなければと思っていました。

 

ー21歳っていうのは何か理由があったんですか?

 

野上:高卒っていうこともあって、大きい会社には入れるとは思っていなかったのでせめて周りの同年代の大学生よりは少しでも先輩でいたいっていう気持ちからですね。それで21歳の時にワニ革やオーストリッチを使った高級バッグの卸の会社に就職しました。ただそこも1年で辞めちゃいました。

 

ーお仕事が大変だったんですか?

 

野上:いえ、仕事自体はお年寄りの方を相手にするような仕事だったので楽しかったです。韓国なんかに仕入れに行ったりして販売会を開催したら1日で何百万円と売れる世界だったんで刺激的で面白い世界でした。ただ、私自身が何かしたというわけではないんですが社内の変なごたごたに気づいたら巻き込まれちゃってて、まだ自分も若かったので嫌になって辞めてしまいました。

 

ーなるほど、それからまた違う仕事に就かれたんですか?

 

野上:はい、その後は今の業界、美容業界の世界に入りました。自分でディーラーさんを探しまわって面接を受けて雇ってもらいました。それで2年ほどそこで働きました。

 

ー主にどういったお仕事になるんですか?

 

野上:とにかく美容室をまわって自社で取り扱っている商品、主にパーマ液やヘアカラー材を紹介して回って契約をとってその美容室の商品を卸す仕事ですね。

 

 

(事務所の中にはカラー液やパーマ液など数多くの商品がある)

ーそこで、働いて学んだことが今に活きているということですね。

 

野上:そうですね、そこでこの業界でやっていくためのノウハウを学びましたね。

 

ー何か印象的な事なんてありましたか?

 

野上:美容業界に入って1番衝撃的だったのは、美容室のオーナーさんや社長さんの事を先生と呼ぶことでした。

 

ー先生ですか?

 

野上:そう、先生。今はだいぶ減ってきていますけど当時は営業の引継ぎで色んなお客さんの所をまわる時はオーナーさんに対して先生と呼べば間違いないって教わりました。最初はほんとビックリしました。先生なんていうイメージが無かったもんですから。

 

 

ーなるほど、確かに先生っていう印象はあんまりないかもしれませんね。

 

野上:特に年齢の高い目上の方などは先生っていうとすごくうれしそうにされていましたよ。

 

ーそんな世界なんですね。先ほど2年ほどその会社で働いたとおっしゃっていましたが退職されて独立されたのですか?

 

野上:いえ、退職してから1年間は父の仕事の手伝いをしていました。

 

ーお父さんもなにか事業をされていたんですか?

 

野上:父はヘナカラーのメーカーをやっていました。九州での販売権を持っていて九州の販社でした。

 

ーなるほど、そしたら前職とほぼ同じような業界だったわけですね。

 

野上:そうですね、ただ父はメーカーで私がもともとやっていたのはディーラーだったのでやることは全然違いました。そこから自分でディーラーをやりたいと思って独立することを決心しました。

 

ーそれはおいくつの頃だったんですか?

 

野上:開業が2007年なんで29歳の時ですね。

 

ーその時はもうこの場所でスタートしたんですか?

 

野上:当時は実家の部屋を事務所にしてスタートしました。結婚して手狭になってきたタイミングで納屋を改造して使い始めました。

 

ー独立した当時に苦労したことって何ですか?業種的に独立してからお客さんを獲得するまで時間がかかったりするイメージがあるんですけど。

 

野上:そうですね、前職を退職するときに自分が担当していたお客さんは当然ですが全て会社のお返ししました。その上で独立したんですがありがたい事に自分が担当していたお客さんが連絡してきてくれてそれでそのまま取引をさせていただく事になったんです。それはもう本当に助かりました。

 

ーそれ凄いですね、前職の後任の方ではなく野上さんから購入したいってことですよね。けどそれって前職で販売してたものと同じものを販売できないと難しいと思うんですけどその辺はどのようにしてたんですか? 

 

野上:そこはお世話になっている同業者の方がいてありがたい事にその方が前職で取り扱っていた商品を仕入れさせてくれたんです。そのおかげで連絡をくれたお客さん達にも問題なく商品を提供できました。なので独立してすぐに一定のお客さんがついてくれて商品やサービスも問題なく提供できたのは非常に助かりました。

 

ーなるほど、それじゃあ事業のスタートは上々だったわけですね。

 

野上:上々はちょっと言い過ぎかもしれませんが皆さんのおかげで立ち上がりは良かったと思います。

 

ーありがとうございます。それでは前半はここまでとさせて頂きます。後半では事業を立上げて以降のお話や地元姪浜について伺っていきたいとおもいます。有難うございました。

 

 

野上:ありがとうございました。 

 

nogami株式会社

野上 博充さん

美容室で使用するパーマ液やカラー液といった美容商材を福岡市内を中心に卸販売を展開する「nogami株式会社」の代表取締役。

姪浜のあらゆる商店で組織する「姪浜中央商店会」において副会長を務め、姪北小学校のPTA会長を務めるなど地域の活動にも幅広く貢献している。

 

【nogami株式会社】

住所:福岡県福岡市西区姪の浜3丁目1-25

TEL:092-407-1341 

FAX:092-407-1342 

ホームページ:https://nogami-es.co.jp/