魚嘉かまぼこ 松尾 達哉さん┃明治時代から姪浜共に歩んできた老舗かまぼこ店の歴史とは(前編)

たくさんの方にご覧いただきご好評いただいている『地元の人に聞いてみた』のコーナー。今回は明治時代から100年以上続く老舗中の老舗かまぼこ店『魚嘉かまぼこ』の4代目店主の松尾達哉さんにお話を伺ってきました。

ー今日はよろしくお願いします。

 

松尾達哉さん(以下『松尾』):よろしくお願いします。

 

ーまずは簡単に自己紹介を御願いします。

 

松尾:姪の浜で明治38年創業のかまぼこ店『魚嘉』を営んでおります松尾達哉です。

 

ーありがとうございます。明治38年創業とはすごいですね。松尾さんは何代目になられるんですか?

 

松尾:私が4代目になります。私の曽祖父がこの場所でお店を始めて祖父、父そして私に受け継がれてきました。

 

ー歴史あるお店ですね。創業当時のことなど教えていただいても良いですか?

 

松尾:100年以上も昔の話なので詳しいことはわかりませんが当時の姪浜にはかまぼこや天ぷらをつくっているところは沢山あったというのは聞いています。漁港が目の前にあることから魚が沢山取れるので原料の調達がしやすかったことと、かまぼこを作るのに沢山のお水を使うのですがこの辺り良質な井戸水が取れるところでかまぼこ作りに適した土地だったみたいです。

 

ーなるほど、そこから100年以上の歴史が始まっていくわけですね。

ー100年以上この地で操業を続けているということですが、松尾さんもずっと姪浜でそだってこられたということですか?

 

松尾:そうですね。内浜小学校、姪浜中学校に通っていました。

 

ーわかりました、このお店を継がれることになった経緯を伺っていきたいのですが、いつからお仕事を始められたんですか?

 

松尾:25歳になってここで働くようになりました。大学を卒業してからまずは他所のかまぼこ店に修行に行って戻ってきた形になります。

 

ーなるほど、大学はかまぼこに関連するような学校ですか?

 

松尾:いえ、全く関係のない岡山県にある大学を卒業しました。

 

ーそれでは大学卒業してから本格的にかまぼこの道へ進み始めたのですね。修業はどちらに?

 

松尾:国内でも指折りのかまぼこを作る大阪の名店『和田八蒲鉾』さんで修業をさせてもらいました。宮内庁にもかまぼこを献上したりしている由緒正しき蒲鉾店です。

 

 

(大阪のかまぼこの名店『和田八蒲鉾製造株式会社』。)

ー宮内庁に献上しているって凄い所ですね。

 

松尾:父が全国のかまぼこ業者の組合の副会長を歴任してて全国の様々な業者との交友があってそのつながりで修業させていただく事になりました。

 

ーお父さんも凄い方なんですね。そのお店での修行はどうでしたか?

 

松尾:昔からそのお店は全国各地からたくさんの人が修行にやってくることで有名でかなり厳しい所ではあったんですけど私とおなじ様な立場の人が沢山いて刺激になりましたし色んな技術も学べたので良かったです。

 

 

ーそのお店でどのくらい修行されたんですか?

 

松尾:2年半くらいです。

ー修行の期間で何か印象的な出来事などあれば教えていただきたいです。

 

松尾:印象的というか嬉しかったことなんですけど、私を含め修行に来ている人たちはそれぞれ自分の担当する製品づくりに従事するんですけど、ある時からそのお店で一番技術的に作るのが難しいとされていた製品を担当させてもらえるようになったことがとても嬉しかったですね。

 

ーそれは嬉しいですね。松尾さんの技術が認められたってことですもんね。

 

松尾:はい。その製品を作れる人っていうのがほとんどいなくて、任せてもらえたのは嬉しかったです。任せていただくようになってからですが、ときどき皇室に献上する品を作るのも任せていただけたのは印象的でしたし貴重な経験だったと思います。

 

ー松尾さんが作った蒲鉾が皇室に献上されたんですか?凄すぎます!他にも修業をされている方が沢山い入る中で松尾さんが任されるようになったということですが松尾さんと他の方の何が違ったんでしょうか?

 

松尾:たまたま適性が向いてただけなんだと思います。人それぞれ得手不得手っていうのがあると思うんですけどたまたまその時に求められていた技術が私の得意分野だったんです。たまたまではありましたけどやっぱり任せてもらえたのは嬉しかったですしとても貴重な体験をさせてもらえたのは修業をしてて本当に良かったなと思う瞬間でした。

 

(かまぼこ作りは非常に繊細な技術が求められるとのこと。)

ーなるほど、そのお店での修業を終えて福岡に戻ってこられたんですか?

 

松尾:いえ、大阪の蒲鉾店で2年半ほど修行したのちに、北海道のすり身の製造工場で半年ほど修業をしました。

 

ー工場ですか?

 

松尾:はい、かまぼこの原料となるすり身を作る工場だったんですけど、今ではあちこちにすり身の工場ってあるんですけど当時は国内ではほぼ北海道にしかなくて勉強のために行きました。

 

ーそこでの仕事はどうでしたか?

 

松尾:仕事はかなりハードでした。北海道の網走と釧路の工場だったんですけどすり身の原料のスケソウダラをさばいたり、ホタテ貝の加工なんかを朝から晩までずっとやっていて同じ作業の連続で休みなくずっと働いていました。

 

ー朝から晩まで同じ作業だと辛そうですね。

 

松尾:確かに大変でした。けど夏場だったのでこっちと比べると涼しくて気持ちよかったのと、北海道の新鮮なホタテをつまみ食いしててものすごく美味しかったのはよく覚えています。

 

ーそれは美味しそうですね。獲れたてのホタテを食べる機会なんてこっちじゃないですもんね。

 

松尾:そうですね。あまりに美味しかったのでこっちのホタテがあんまり食べられなくなってしまいました(笑)

 

 

 ーなるほど(笑)その後、福岡に戻ってこられたわけですね。

 

松尾:そうですね。大学を卒業して3年修業して25歳のときに戻ってきて今のお店で働き始めました。

 

ーなるほど、ちなみに失礼ですが松尾さんは今おいくつですか?

 

松尾:58歳です。なのでここに戻ってきて33年ですね。

 

ー戻って来られてからはお父さんと一緒にこのお店を切り盛りされていたんですか?

 

松尾:いえ、戻ってきてからは母と私でお店を切り盛りしていました。というのも私が小学生の時に父はこことは別の蒲鉾の会社を立ちあげてて私が戻ってきたころには父と兄はそっちの会社に専念していて、この店は母が主体となって私と2人で切り盛りするようになりました。私の下に弟がいてこのお店で一緒に働いていたんですが、とある水産加工品の会社から声がかかって、そちらの仕事に就くことになり最終的に私がこのお店を継ぐことになりました。

 

ーなるほど、松尾さんが受け継ぐことになって本格的に松尾さんが主体となってお店を運営するようになられたのはいつだったんですか?

 

松尾:28歳になったころに私が完全に引き継いで、それ以降は母もいそがしいときなんかに手伝ってくれるくらいになりました。

 

 

ーわかりました。それでは前編はここまでとさせていただきます。後編では松尾さんが『魚嘉』を受け継いでからこれまでのお話しを伺っていきたいと思います。

魚嘉かまぼこ

松尾 達哉さん

明治時代から100年以上の歴史を誇る老舗かまぼこ店の4代目店主。厳選素材を使用し石臼練り・手打ちなど昔ながらの製法で優しい味わいと喉越しの良さが自慢のかまぼこを製造・販売している。

魚嘉のかまぼこはお店以外でも下記のお店にて購入できるのでぜひ一度お食べ頂きたい逸品である。

(取扱い店舗)

 ・イオンストアマリナタウン店・ハローデイ姪浜店・じょうもんさん福重市場

 ・じょうもんさん入部市場・じょうもんさん周船寺市場・地下鉄姪浜駅ステーションフード

 ・スーパーサングリン

【魚嘉かまぼこ】

住所:福岡県福岡市西区姪の浜3丁目5-10

TEL・FAX:092-881ー0102

営業時間:10:00~18:30

定休日:日曜日

ホームページ:https://www.uoka-kamaboko.jp/