のこのしまアイランドパーク 久保田 晋平さん┃アイランドパークから能古島の魅力を発信し続ける想いとは(前編)

能古島で50年以上に渡り『のこのしまアイランドパーク』を創業し続ける『久保田観光 株式会社』の代表取締役社長の久保田 晋平社長に公園を通じて思う能古島の未来について伺ってきました。

ー本日はよろしくお願いいたします。

 

久保田社長(以下『久保田』):よろしく御願いします。

 

ー早速ですが簡単に自己紹介を御願いします。

 

久保田:『のこのしまアイランドパーク』を運営する『久保田観光 株式会社』で代表取締役を務めております久保田 晋平です。

 

ーありがとうございます。それでは『のこのしまアイランドパーク』についてお伺いしたいのですが、のこのしまアイランドパークの創業者はお父様の久保田耕作さんで久保田社長は2代目になられるということで伺っております。

 

久保田:そうです、私の曽祖父がアイランドパークの土地を購入して農業をしていて、父が『低コスト・大量生産』の時代にが来てこのままではいけないと一念発起して方向転換をしたのが始まりですね。

(若かりし頃の創業者 久保田耕作さん)

ーなるほど、農家から公園に変えていくのってかなり大変なように思われるんですけどいかがでした?

 

久保田:1から作り始めたので大変でした。自分たちで花の苗を買ってきては挿し木で増やしていくっていう作業をしてどんどん花の数を増やしっていきました。準備期間だけでも10数年はかかってますね。

 

ーそれでなんとかオープンまで持って行ったわけですね。

 

久保田:そうですね、1969年にオープンすることができました。当時はまだ本土とつなぐ舟はポンポン舟でしたし道路も全然舗装されていなくて、今よりのとても不便でした。それでもなんと今日まで50年以上続けることができました。

 

ー久保田社長は2代目ということですが、のこのしまアイランドパーク一筋で働いてこられたんですか?

 

久保田:いえ、実は私は高校を卒業してから一時期アメリカに留学してたんですよ。そして、日本に帰ってくるときに東京ディズニーランドがオープンするってことでオープニングスタッフとしてディズニーランドに就職しました。

 

 

(開業当時のディズニーランド)

ーディズニーランドのオープニングスタッフなんですか!?ものすごく貴重な体験されていますね(驚)

 

久保田:アメリカに留学したときに向こうのディズニーランドに行ったときにとても感銘をうけまして何度も行っていました。先ほども申しましたが日本に帰ってこなきゃいけないタイミングで募集がされてたので応募してみたら運よく採用されてジェットコースターの係に配属されました。

 

ーなるほど、ディズニーランドに就職されたのは、のこのしまアイランドパークを継ぐことになるときの為の修行って意味合いもあったんですか?

 

久保田:それも多少はありますけど実際の所は大好きなディズニーランドで仕事をしてお金をもらえるなんて最高の環境じゃないかっていう喜びが強かったですね(笑)

 

ーそんなにディズニーランドが好きだったんですね。のこのしまに帰ってくるときはどんな気持ちでした?

 

久保田:小さいころから父親にお前は跡継ぎだぞって言われてたからまあ、仕方ないかなって感じですかね。

 

ーのこのしまアイランドパークで仕事を始めることなられてから最初の苦労はなんでしたか?

 

久保田:私が働き始めた頃には株式会社になっていたんですけど会社として機能していなかったことが大変でした。もともとは農業からスタートして親族が集まって持ち寄って作ったこともあって会社としてのキチンとしたルールができていませんでした。

 

ーなるほど、ご家族だけってなるとそこまできっちりしなくてもやっていけるってのはよくある話しですよね。

 

久保田:ディズニーランドは当時外資で週休二日制でちゃんと残業代も出て社会保険も完備されてたんですが、それらが一切なくてって状態で。当時うちの平均年齢が50歳を過ぎてて次の世代のことも考えなくちゃいけない時期に来てて、求人を掛けようにも非常に難しい状態にありました。なので会社内のルールや規則などを整備することから始めましたがこれはかなり大変な作業でした。

 

ーこれまでのルールやしきたりを変えるのは大変そうですね。かなり難航されたんじゃないですか?

 

久保田:そうですね、これまでやってきたことを変えられるってこともあってか拒絶反応を示す人間は多かったです。仕事に対する価値観も違ってて畑仕事なんかの肉体労働をしていると褒められるんですが、電話応対などのデスクワークだとサボってるようにみられたなんかもして、一人一人に認めてもらって納得してもらうのには時間がかかりました。

 

ーなるほど、まずは会社としての地盤固めに奔走されたというわけですね。

 

久保田:そうですね、あとは当時は今ほどのこのしまアイランドパークの認知度を高めることにとにかく力を入れていました。当時はインターネットなんかも無かったので電話でのお問合せが非常に多くてとにかく電話応対でたいへんでした。

 

ーその苦労もあってかのこのしまアイランドパークの認知度は今本当に高いですよね。

 

久保田:おかげ様で国内外からたくさんの観光客の方に来ていただいてありがたいです。海外の旅行雑誌なんかにも特集して頂いたりしたおかげで海外からのお客さまも非常に増えています。

 

ーものすごく多くの方が訪れてらっしゃいますよね。どのくらいの人数の方がいらっしゃっているんですか?

 

 

 

久保田:今はコロナウイルスの影響で半分くらいに減ってしまっていますけど冬のシーズンはほとんど来られませんが春や夏の週末は1,000から2,000人くらいでコスモスの時期は3,000人くらいは来られてます。

(四季折々の美しい花畑を大パノラマで楽しめるのがアイランドパークの魅力)

ーすごい数ですね、能古島の島民の数より多いんじゃないですか?

 

久保田ーそうですね島民がだいたい700人くらいですね。といっても天気にかなり左右されるので雨の日なんかは全然来られなかったりもしますよ。

 

ーなるほど、コロナウイルスの影響なんかはやっぱり大きいですか?

 

久保田:非常に大きいですね、それまではお客様の約4分の1くらいは外国のお客さまでそれがほとんどゼロになりましたし国内のお客さまもかなり減っています。

アイランドパークのお客様がへるということは能古島へ来られる方が減ることと同義なので能古島全体に影響を及ぼします。はやく以前の生活に戻れることを願っています。

 

 

ーわかりました、まずはここまでのこのしまアイランドパークについてお伺いさせて頂きました。後半では久保田社長に能古島全体についてお伺いしていきたいと思います。

ということで前編ではのこのしまアイランドパークの創業からこれまでの歴史について伺ってきました。並々ならぬ情熱と苦労があったからこそのこのしまアイランドパークが福岡有数の観光地へと発展してきたことが伺えました。

後編ではそんなのこのしまアイランドパークを成長させてきた久保田社長が考える能古島の魅力や問題点について伺っていきたいと思います。

久保田観光 株式会社(のこのしまアイランドパーク)

代表取締役 久保田 晋平 さん

能古島で親子2代にわたって国定公園『のこのしまアイランドパーク』を操業。

能古島に年間15万人以上の観光客が訪れる福岡でも有数の観光名所まで育て上げる。

 

【のこのしまアイランドパーク】

住所:福岡市西区能古島

お問合せ:092-881-2494

BBQ・宿泊予約専用番号:092-881-4474

URL:http://nokonoshima.com/