時代の流れに対応し50年以上姪浜で創業をし続ける酒商高山の2代目社長 高山嘉哲さんが語る姪浜とは(後編)

前編では酒商高山の創業時についてお伺いしていきました。後編では現社長の高山嘉哲さんにフォーカスをあててお話を聞かせていただきました。

ーここまで酒商高山の創業時についていろいろとお伺いさせていただきました。ここからは嘉哲さんついてお伺いしていきたいと思います。お父さんから受け継いで株式会社高山商事の代表取締役に就任し社長として会社を創業していくこととなったわけですが就任直後が特に苦労したことって何ですか?

 

高山:あんまり苦労っていう苦労はしてないかもね。とにかく忙しいっていうのはあったけど本当にあの頃は時代が良かったって思う。

 

ーなるほど、就任した頃について苦い思い出があまりないということですね。

 

高山:そうやね、ただ売掛金の回収とかはイヤやったけどね。支払いが遅れるっていうことはやっぱりお店がうまくいっていない所が多いんよね。そういう人のところに行ってお金をもらいに行く作業はしなくていいに越したことはないかな。

 

ーたしかにお金の回収は精神的にも疲れそうですね。逆にやりがいは何でした?

高山:やりがいというか仕事してて嬉しいのはお酒を卸してるお店の従業員さんが独立するってなった時とかにお店の人が新しい取引先にってことで従業員さんを紹介してくれて取引が始まったりするとやっぱりうれしいね。

 

ーたしかに、高山さんのことを信頼してないと紹介なんてできないですもんね。

 

高山:やけん紹介してくれた人の顔に泥を塗るわけにはいかんけん責任感を持って仕事をせないかんよね。

それに親父がこれまで苦労して作ってきたお客さんとの関係があるわけでそれを崩さないようにお客さん一人ひとりへのサービスは丁寧にしたよ。

 

 

 

ーつづいて清子さんにお伺いしたいんですが嘉哲さんが働き始めた時の印象はどうでした?

 

清子:この人が学生のころから手伝いをさせてましたけど、今と違って何も言わず黙っててお客さんも戸惑っていましたね。

 

ーえ、静かだったんですか?ものすごくおしゃべりなイメージですよ?(笑)

 

高山:あの頃はシャイやったとて(笑)

 

清子:喋らないと仕事にならないので本当に困りましたね。ただ働くのはものすごく働いていました。朝早く起きて掃除したりなんやらで動き回ってて近所の人からも働き者ってことでちょっと有名でした。

 

 

ー今は弟の啓さんと2人で主にお店を運営していってることについてはどのように感じてらっしゃいますか?

 

清子:2人とも全然性格が違うんですけどそれが良いように作用しててお互いに足りないものを補い合っていてとてもバランスのいいコンビだと思います。下の子のほうがとにかく細かいことに良く気が付く性格なので嘉哲の抜けてるところをものすごくカバーしてくれています。嘉哲はとにかく社交的で人に好かれることが上手なのでお互いどちらかが欠けたらお店もうまい事回らないと思います。

 

ーなるほど、兄弟ならでは阿吽の呼吸があるわけですね。

 

ー嘉哲さんにお伺いしたいんですけどこれまでのお仕事で特に印象的だった出来事って何ですか?

 

高山:印象的とは違うかもしれんけどやっぱり新規のお店がオープンしてそのお店が繁盛しよったら嬉しくなるよね。立上げからお酒を提供するって形で関わったお店は頑張って欲しくなる。

 

ー特に思い入れのあるお店ってありますか?

 

つい最近、50周年を迎えたお店があって創業当時から携わらせてもらっとるけん感慨深いよね。石丸の方にある【長政】っていう焼鳥屋さんなんやけどここが本当に美味しいっちゃん。初代の親父さんが亡くなって今2代目の息子さんがしよるんやけどここは本当に付き合いも長いしこれからももっともっと続いてほしいお店の一つやね。

 

ーなるほど、長きにわたってやってきたからこそ喜びもひとしおと言うわけですね。

ーそんな長きにわたって姪浜で操業を続けてきた酒商高山ですが今と比べて昔の姪浜っていうのはやっぱり違いますか?

 

清子:全然違いますね、旧唐津街道のところの商店街なんかは昔は人で溢れかえっていて今みたいに車が通るなんて考えられませんでした。リヤカー部隊なんかも沢山いて活気に満ち溢れてました。

 

高山:便利な大型店が出来始めてからどんどん人が離れていって賑わいがなくなっていったのは本当に寂しかったね。

 

清子:昔はお店の前に電車が通っていたのでこの辺りも本当に人が多かったですよ。

あとは昔は炭鉱の町っていうこともあって気性の荒い人が多かったですね。けんかなんかも良くあってましたよ。とはいっても普段は優しい人たちばっかりでしたけど。

 

(昭和50年頃の姪浜駅北口交差点付近の写真)

高山:埋め立てで豊浜ができてからがだいぶ変わったよね。

 

清子:そうですね、街がガラッと変わって活気はなくなっていったけど住みやすい便利な街にはなりましたね。

 

高山:正直に言うと自分は昔の方が好きやったかな。昔はもっと地域の人たちのつながりが強くて和気あいあいとしとったけど今は昔からある建物がどんどん崩されてマンションが建てられていって。たしかに姪浜に人が増えてきててそれは喜ばしいことなんやけど繋がりが減ってきているのはやっぱり寂しい気持ちになるかな。

 

ーなるほど、便利になっていく一方で失っているもあるということですね。このことを踏まえた上でお聞きしたいのですが姪浜の魅力ってなんですか?

 

高山:やっぱり海が近くて魚が美味しいってところと、良か人が多いってところかな。さっき気性が荒いって話しがあったけど変なことや失礼なことを言わん限りはむしろものすごい世話好きの優しい人が多いと思うよ。

 

清子:あとはやっぱり住みやすい街にはなりましたね。天神や空港も地下鉄1本で行けるし、糸島へもすぐに行けるので交通の便は本当によくなりました。

 

ー姪浜のおススメのスポットやお店とかってありますか?

 

高山:姪浜に来たんやったらやっぱりお魚は食べて欲しかけん『御園』とかは安くて美味しい魚料理を出してくれる件おススメやね。

 

清子:私はお店のすぐお隣の『たつき寿司』さんですかね。大事なお客さんとかを連れていくときなんかはここを選べばまず間違いないと思います。 

 

 

(玄海の魚処 御園)

(寿司割烹 たつき)


ーもしまた一から酒商高山を始める頃に戻ることができるとしたらまた姪浜を選びますか?

 

清子:姪浜以外を選ぶ理由がありません。姪浜一択ですね。

 

高山:やっぱり姪浜が地元の人間が姪浜という地元で始めたっていうのが大きいと思うっちゃん。

 

清子:あの頃は飲み屋さんっていうのが全然なくて個人のお客さんが頼みの綱だったんですよ。地元で始めたおかげで知り合いが注文してくれてそこからどんどん地元のつながりでお客さんが増えていってくれたから今も続けていられるんだと思います。

 

高山:姪浜以外の見知らぬ土地で初めても地域とのつながりがないけんここまで順調に来ることはできんやったと思うよ。姪浜という地元に感謝やね。

 

ーありがとうございます、最後にこの記事をご覧になられている方に何か一言お願いします。

 

高山:海や山何かの自然も多く美味しい魚なんかも食べられるので是非一度姪浜に遊びに来られてください。

 

清子:地下鉄やバスも充実してて大きいスーパーなんかも近くて姪浜はとても住みやすい街です。人も優しくて本当にいい街なので是非お越しください。

 

ー本日はありがとうございました。

 

 

高山、清子:ありがとうございました。

親子2代にわたって長きにわたって操業を続けてきた高山嘉哲さんと清子さん。

地域とのつながりを大切にしてきたからこそここまでやってこれたということでこれから先も地域に根付いた活動を続けて地元に恩返しをしていきたいとのこと。

姪浜で美味しいお酒をお求めの方はぜひ酒商高山へ。

 

株式会社 高山商事 代表取締役

高山嘉哲さん

姪浜で長きに渡り『酒商高山』を切り盛りする2代目社長。姪浜中央商店会の会長として姪浜の街を盛り上げるための地域活動にも貢献し陽気な人柄から姪浜の名物社長として有名。

【酒商 高山】

住所:福岡県福岡市西区姪の浜1-15-25

TEL:092-881-0870

営業時間:9:00~20:00

定休日:日曜日